大海の一滴
麗子は額に手を当てて目をつぶる。
頭痛がする。
「それからね、人は大きなストレスを抱えた時、原因となる記憶を無意識に削除することがあるの」
秋野さんの声が徐々に遠ざかる。
代わりに、甲高い子供の声が鮮やかに響く。
『れいちゃんと、遊んだら、ダメなんだって』
知らない子供の声。
なのに、胸に突き刺さる。
けれどその声の主も、遊んだらいけない理由はもちろん、自由研究の題材も、何もかも思い出せなかった。
ただ、ズキズキと心臓と頭に痛みが走った。
(ああ、きっとそういう事なのだわ)
渡辺まゆみさんのことを考え、妙に納得した。
本当は、随分前から気付いていた。
でも、気が付かない振りをしていた。
気のせいだと心に蓋をしていたのかもしれない。
その蓋を開けてしまったらもう教師には戻れないと分かっていたから。
だって、生徒を嫌いになってしまったら、教師としての自分は終わってしまうじゃない。