大海の一滴
違和感を感じて、頬を触る。
涙であると気づくまでに、時間がかかった。
麗子は深く息を吸い込み、そして、微笑んだ。
「つまり、私は、小学生の頃、苛めにあっていた。たぶん、小学四年生くらい。それはきっと私にとって、とてもショックな出来事だった。だから私は、忘れた」
目をつぶる。唇を噛みしめる。
(受け入れなければならない)
秋野さんは、ただ黙って聞いていた。
「私は……きっと活発でリーダー格の、クラスで人気のある女の子に苛められていたんだわ」
(渡辺さんが、クラスの日記帳を持って職員室に入って来ると全身が冷たくなった)
「そして、似たようなタイプの子、渡辺まゆみさんが私の生徒になり、似たような苛めが始まった」
「だから私は……自分の身を守るために、過剰な防衛反応を起こしているのね」
(渡辺さんが話しかけてくる時、私はいつもその裏側にある真意を探っていた。怖れていたのだ。だから私は)
「……無意識のうちに彼女の存在を消して、自分を保とうとしているのね」
いつもクラスの人数を間違えるのはそのせい。
必ず一人分、忘れている。
それは、渡辺さんの分なのだ。
「私は、渡辺まゆみという生徒を、忘れようとしている」
麗子は力なく微笑んだ。
ブブブブ、ブブブブ。
まるで、痛む心に共鳴したように、秋野さんの携帯がテーブル上で小刻みに震えた。