大海の一滴
ハアー。
これでは美絵子と連絡を取りようがないじゃないか。
せっかく覚悟を決めたというのに。
(いや、待てよ。アドレス帳に友達の連絡先が入っているはずだ。そこへ掛けてみれば)
ウサギのストラップを摘み上げ、二つ折りの上部に手をかける。
「……」
いや、やっぱり良くない。
他人の携帯を勝手に覗くのはプライバシーの侵害だ。
第一、もし美絵子が秘め事でもしていたらどうする。
例えば、美絵子の滞在先が実は不倫相手のところだったとか。
「……」
そうだ、今は非常事態だ。誰の? それは……もちろん、娘のだ。
(美絵子だって、分かってくれるよな)
もう一度携帯を取り上げる。親指で弾くと、真っ暗だった画面に光が点った。
(……そうだよな)
満面の笑顔の美絵子、美和、達之が、待ち受け画面になっている。
家族が一番。
そんな、美絵子の想いがひしひしと伝わってくる。
「何をやっているんだか」
呟いて、達之は心の中で美絵子に詫びた。
全てが元通りになったら、美絵子の望みを聞いてあげよう。
ブランド物のバッグでも、海外旅行でもいい。もちろん叶えられる範囲でお願いして欲しいのだが。
「確か、秋野さん……だったよな」
またぶつぶつと呟きながら必要最小限のボタン操作でアドレス帳を開く。色こそ違えど、達之と同じ機種の携帯だ。操作は手慣れている。
「へえ、秋野月子って言うのか」
名前の響きに十五夜を思い浮かべながら、達之は電話番号を自分の携帯に写し、すぐに美絵子の携帯を引き出しの中へしまい込んだ。
(これくらいなら、許容範囲だよな)
なんとなく後ろめたさが残ったが、そこはあえて無視することにした。
何しろ、娘の一大事なのだ。
(さてと)
「……」
親しくない相手にいきなり電話を掛けるというのは、緊張するし勇気のいることだ。
相手が出たら、何と切り出すべきだろうか。