大海の一滴
確か結婚式にあった気がするが……
ホテルウェディングのオプションでバーテンダーを呼んで、そのモスコミュールが美味すぎて、つい酔っ払ってしまった、という止むに止まれぬ事情があり、記憶が定かではない。
と、すれば、それより前の、美絵子が家出した時だな……。
達之は、記憶を辿った。
『美絵子は、あなたを心配しています。もちろん、それ以外の感情もあるけれど』
そんなことを言われた気がする。
そう言えば、あの時も冷静で抑揚のない言い方だった気がするな。
『帰るから、迎えに来て」
唐突な美絵子からの連絡を受けて、達之は秋野月子の家の近くにある喫茶店まで出向いた。
小さな喫茶店の、年季の入った重いドアをくぐると、壁際の四人がけテーブルに頬杖を付いた状態の美絵子が座っていた。
グレープフルーツジュースを蝶のように吸いあげる美絵子はいかにも憂鬱そうに見えた。
『初めまして』
達之が近寄ると横並びに座っていた秋野月子だけが立ち上がり、静かに微笑んだ。
(ああ、そうか)
上手く彼女の顔を思い出せなかったのは、彼女がかなりの美人だったせいだ。