抹茶な風に誘われて。
 母は、一条家の墓に入ることを望まなかった。

 それは後で知らされた、母の唯一の遺志だった。

 イギリスの親戚が教えてくれたことだから、あれは本当だったのだろう。

 当時はそれこそ父をひどく恨んだ。

 あの厳格な顔で、何も言いはしなかったけれど――父は母の遺志を尊重したのだ。

 どんな気持ちでそうしたのか、もともと入れるつもりもなかったのかもしれないが。

 母は……死んで、骨になってからも故郷に帰りたかったのだろうか。

 それとも、息子がどこへ行こうと、いつでもそばにいられるようにだろうか。

 そんな感傷的な想像が心に浮かぶのは、今日が母の命日だからかもしれない。

 あの地には、二度と足を踏み入れるつもりもない。

 だから、毎年この日には海へやってくる。

 一条の土地――あの小高い丘の上から散骨された母の遺灰が、きっと眠るであろう広大な海へ。

 夕方を選ぶのは、ただ静かに母を偲べるからに他ならない。

 防波堤の手すりから暗い海を見下ろして、俺は手にしていた花束を投げ入れた。

 沈み行く赤い太陽のような、真っ赤な薔薇の花束を――。

『葬儀に赤い薔薇なんて、とんでもない! 一体貴様はどういうつもりなんだ!』

 波間に漂っていく赤い色を見つめる間に蘇ってくるのは、そう怒鳴られたあの時の記憶。

 貯金箱から貯めた小銭で買った赤い薔薇――母が好きだった、美しい一輪の花はあの男に投げ捨てられた。

 故人の好きだった花を供えるというイギリスの習慣も知らぬ、かたくななまでの日本人。

 典型的な古い頭の父親は、決して母の文化に合わせようとはしなかった。
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