抹茶な風に誘われて。
「静とのことはいい思い出よ。彼があの屋敷を出たことが、後の私の背中を押してくれた。家柄がふさわしいと押し付けられた結婚相手から逃げて、静かな幸せを手に入れたわ」

「そう、ですか――」

「驚かないところを見ると、やっぱり私が彼と付き合っていたこと知ってたのね。可哀相に、余計なことで気をもませちゃったかしら」

 あっさり言い当てられて、赤面してしまう。

 隠したりできるほど、もともと器用じゃないのだ。

「一度は好きだった人だから、幸せになってほしいと思ってた。だからあの時静と再会できて――彼の幸せそうな顔が見られて、ほっとしたわ。昔はいつもこう、眉間に皺が寄っててね。とっつきにくいったらなかったんだから」

 自分で眉間に皺を寄せるふりをして笑う。冗談めかした言葉についつられてしまった。

「あ、やっと笑った。そのほうが可愛いわよ? 静が根暗なんだから、あなたがそこをカバーしてあげないと二人で沈んでっちゃうじゃない」

 ね? と微笑まれてますます頬が熱くなった。

 どうしてなのか。

 目の前にいる人こそがずっと悩んでいた原因でもあったことが、嘘みたいだった。

「じゃあ、ご主人が探偵をなさってるんですね」

「ええ。前は警察にいたんだけど、ちょっと事情で転職。去年事務所を立ち上げたばかりなのよ」

「それで私のことも……?」

 名前はおろか静さんとの関係や、私の住所まで知っている理由がやっとわかって、半ばほっとして訊ねた問いは、頷いた綾子さんが肯定した。

 そこでやっと氷が溶けて薄くなったオレンジジュースに口をつけた私を見つめていた彼女は、名刺を自分で手にとって話を続ける。

「これがなかったら、まさか一条家の当主様から依頼を受ける、なんてこともなかったでしょうね」

 予想もしなかった言葉にグラスを持っていた手を滑らせそうになった。

 綾子さんの白いスーツやバッグにジュースをこぼさなくてよかった、と無意識に安堵しながら、口はオウム返しに呟いていた。

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