抹茶な風に誘われて。
「――まったく。こうなることはわかっていたんですよ」

 言って黒いジャケットのポケットから薬の瓶を取り出して、素早く水と一緒に苦しんでいるお父様の口にふくませる。

「だからまだ早いのではと申し上げたんです。なのに今なら大丈夫だからどうしても、と仰ってきかれないから……落ち着かれましたか? 社長」

 薬を飲んで呼吸がおさまったお父様と、長身のその人のやりとりを唖然として見ていた静さんが、最後の単語で表情を変えた。

「社長、だと? 会長職に退いたのではなかったのか、斉藤」

「――残念ながら、社長は現役でいらっしゃいます。静様」

 斉藤、と呼ばれた細面の男性が、銀縁の眼鏡を押し上げて微笑む。

 そのまま何食わぬ顔で私に一枚の名刺を差し出した。

「……一条グループ、社長秘書……斉藤一」

「はい。どうも、これからお見知りおきを。かをる様」

「何を呑気に挨拶などしておる、斉藤! とっととこの恩知らずを追い出せ――」

 言った途端、また顔を赤くして咳き込むお父様の背をさすりながら、斉藤さんはため息をもらした。

「いけませんよ、社長。興奮なさって本題をお忘れになっては。この十年と同じ過ちをまた繰り返したくないと仰っていたではありませんか」

「わ、私はそんなことは……」

 まだ言い募ろうとするお父様を無視して、静さんが座卓に置かれていた薬の包み紙を取り上げる。

 鋭くなったグレーの瞳と、よく似た黒い瞳がぶつかり合う。目を逸らしたのは、お父様のほうだった。

「アダラートにタナトリル――よく高血圧の治療に使われる薬だと思いましたが、最近では末期癌に対する劇的な効果でも発見されたんでしょうかね?」

 銀色の包み紙に書かれた名前をわざとなのかはっきりと読み上げて、静さんは瞳を細める。

 澄ましていた斉藤さんの顔が、少しだけ感心したように笑みを形作った。
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