抹茶な風に誘われて。
 いつも通りの日常が戻った。

 あれから一週間が経っても、少女は俺の前に姿を見せることもなく、夏の午後は静かに更けていた。

 茶室の隣にある書斎で、俺はパソコンに向かう。

 着物で暮らし、茶道をたしなむ俺には似合わないといつも駄目元に言われるが、もちろん俺だって普通の現代人なのだ。

 自宅で請け負っている翻訳の仕事――今日が締め切りのホームページの文面を、眼鏡をかけた目で睨みながら、俺はカタカタとキーボードを打った。

 近所では、子供たちが遊ぶ声が遠く聞こえる。

 ――夏休みなんてものは、さっさと過ぎてしまえばいいのに。

 ガキがうるさいのは嫌いだ。

 そう思った途端、あの少女の顔が浮かんだ。

 まだ七月末、高校生も休みの真っ只中だろう。

 ――今頃、あのグリーンのエプロンを付けて、花でも運んでいるのだろうか。

 そんなことを考えてしまってから、俺は頭を振る。

「何を考えてるんだ、俺は」

 もう会うこともない。会うつもりはない。

 そう決めたはずなのに、なぜか少女を思うと顔が緩む。

 他の女子高生が遊びに夢中な休みにも、あくせく働く小さな背中。

 重い花の鉢を、懸命に運ぶ姿。

 自転車に乗って、花束を配達する笑顔。

 なぜかそんなものが浮かんできて、俺の手を止めるのだ。

 ――ばかばかしい。ただの子供だ。

『恋をしたら、いけませんか?』

 訊ねた少女の真剣な瞳も、淡く染まった頬も、単なる擬似恋愛に酔った子供のものに過ぎない。

 そうでなければ、何も知らない俺のことなど、あんな少女が気にするはずがないのだ。

 そうだ、何も知らないくせに――。

 思わず罵って、はっとする。

 ――知ってほしいというのか?

 あんな幼い少女に、自分のことを?

 今度こそ、自分を鼻で笑った。

「しっかりしろ、静」

 それきり少女の面影を頭の中から追い出して、俺は仕事に集中することにした。
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