抹茶な風に誘われて。
 お礼を言うだけ、それだけだから。

 そう心の中で何度も呟いて、震える指をチャイムに近づけていく。

 まだ来るのは三度目の――静さんのお宅。

 それなのに、来るたびに自分の心がくるくると色を変えていく。

 初対面ではあれほど嫌な人だと思ったのに……こんな風に静さんのことばかり考えるようになるなんて。

 どうしよう、迷惑じゃないだろうか。

 何度も迷ったものの、しきりに鳴く蝉の合唱に背中を押され、やっとの思いでチャイムを鳴らした。

 ドキドキしながら返事を待っても、何も聞こえてこなかった。

 二度、三度鳴らしても結果は同じ。

 来るだけでも相当勇気を振り絞っていたから、なんだか全身の力が抜けるような気がして、私は門扉に体を預けた。

「あらっ、かをるちゃんじゃなーい! まあまあまあ! もう風邪は平気なの? 大丈夫?」

 いきなり野太い声がして、振り返ったら見覚えのある顔が笑っていた。

「は、はい。おかげさまで……ハ、ハナコさん――ですよね? どうなさったんですか? 今日は」

「ふふっ、驚いた? いやーね、ちょっと仕事の途中で寄ったからこんなカッコで。地味でいやでしょう? 全く性に合わないったらないわあ」

 水色のネクタイに白いシャツ、そして黒いスーツ。その言葉遣いさえなければ普通のサラリーマンだ。

 自分で言う通り、着物で会った時より少し老けて見えて、実は藤田のおじさんよりも年齢が上じゃないだろうかと思ってしまったけれど、私はあわてて首を振った。

「そ、そんなことないですよ。とってもよくお似合いで……」

「まっ、かをるちゃんってば。やっぱり優しいんだから! それよりもどうしたのお? あ、静ちゃんなら留守よ」

「そうなんですか、えっと――」

 私の手にしたものを見て、なにやらにんまりしたハナコさんは、自分のカバンと見比べて嬉しそうに指を鳴らした。
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