「愛してる」、その続きを君に
夕食の支度をしていると、日勤だった克彦が帰って来るなりキッチンに入ってきた。
「どうだった?」
包丁を握る手を休めて、夏海はあえて明るい笑顔を作って振り返った。
「胃カメラ飲んだらね、潰瘍があったのよ。それをちょっと調べるんだって。結果は来週出るって」
「潰瘍!?」
ダイニングテーブルを回り込んで、克彦が娘の肩をむんずと掴んだ。
「潰瘍があるって先生がそう言ったのか!?」
「もーお父さんてば、大げさ。ただの胃潰瘍に決まってるって。念のためにって先生も言ったし」
「検査結果を聞きに行く時は父さんも行くから」
「やめてよー仕事あるんでしょ?それに…」
夏海が笑って手をヒラヒラと振ると、「夏海!!」という克彦の怒鳴り声が家中に響いた。
びくっと彼女は肩を震わせる。
グツッと火にかけた鍋の中身が音を出すのがやけに不気味だった。
「いいか!父さんにはもうおまえしかいないんだ!何かあったらどうするんだ!夏海の言うとおり胃潰瘍かもしれない。だけど父さんにはおまえを守る義務があるんだ!」
あまりの剣幕に、夏海はごくりと喉を鳴らした。
「次に病院に行くときは、父さんも行くからな」
「…うん」
キッチンを出て行く父の背中がなぜだろう、小さく見えた。
本当は泣いてこの得体の知れない恐怖を打ち明けたかった。
しかし、いつのまにか増えた白髪と細くなった背中を目の前にすると、彼女にはそれがどうしてもできなかった。
もう少し、もう少しならひとりでも耐えられる。
彼女は自分に何度もそう言い聞かせた。
娘が自室に入ったのを確認すると、克彦は仏壇の前に座った。
きっちり正座した膝の上に、日焼けして節くれ立った手を置く。
妻と両親の遺影を見ながら、彼は息をついた。
「なぁ頼むよ。頼むから夏海を守ってくれよ」
そう言って合わせた手が微かに震えていた。