「愛してる」、その続きを君に
あれは午後7時を少し回った頃だった。
テーブルに置いてあった信太郎の携帯が鳴った。
「たぶん恵麻」と手を伸ばす彼。
今年の春あたりから恵麻が元恋人につきまとわれているということで、信太郎が駅まで迎えに行くことが日課になっている。
「まだ、警察には言ってないんでしょ?」
使い終わった鍋やボウルを洗いながら、夏海は訊ねる。
「ああ」
携帯を閉じながら、信太郎は寝そべっていたソファーから身体を起こした。
「おじさんや、おばさんにも?」
「言ってない。言いたくないんだってさ。心配するからって」
「そっか…なんだか怖いね」
「ま、大丈夫だろ。毎日俺が迎えに行ってるし」
彼自身も気になっているに違いなかったが、それを隠すように明るくそう言うと、壁にかかった時計を見やった。
「今から駅まで行ってくる」
「私も一緒に行っていい?」
水を止め、エプロンを取る。
「だめに決まってるだろ。ついでに恵麻とケーキを買ってくるから。だから帰ってからのお楽しみでナツは留守番。いい子で待ってろよ」
信太郎も先ほどの夏海の言葉を真似て、してやったりの顔をしながら彼女の柔らかな髪をもてあそんだ。
「すぐに帰ってくるから」
信太郎は夏海の顔を引き寄せると、何度か優しく口づけた。
幾度交わしても慣れることのない彼とのキス。
優しく包み込むような時もあれば、激しく奪われるような時もある。
毎回心臓が飛び出すのではないかと思うほど、強く脈打つ。
そして今日はどことなく彼女をじらすようなキスだった。
その唇に応えようとする夏海を信太郎は一度引き離すと、彼にしては珍しく艶めいた熱っぽい声でこう囁いた。
「…続きはまた後で」
「うん…」
恥ずかしさのあまりうつむいたまま、彼女は愛しい人を送り出してしまった。
後に彼女は、この夜のことを激しく後悔する。
どうしてこの時、彼の顔をしっかりと見ておかなかったのか…と。
いや、どうして無理にでも彼と一緒に行かなかったのか…と。