『うさぎ』日記
その後、二つ目の大きな波がやってきて
完全に離ればなれになり、陸に近づいた私は
救助に来てくれた船に引き上げられて
助かったそうです。
そうですと云うのは、
まったく憶えてないんです。
5才の記憶にあるのは、
最後の母の顔ばかり。
この津波は奥尻島の西側程大きく、
最大で30mの高さにまで達していたが、
島の東側に住んでいた夏帆と母親を襲った津波は、
高さ3.5m程のものであった。
だが、海面の下は流れが複雑でいたる所で渦を巻いており
夏帆の母親もこの渦に捉まり抜け出す事が出来なかったのである。
その上、波の進行速度が速く時速30Kmで島を南下し、
やがて西側から周り込んで来た大きな波に遭遇すると高さを増し、
第2波となって島の南端の青苗地区を襲ったのであった。