太陽と雪
テーブルの上には、いつも食べている、ごくごく普通のイタリアン。

プロシュートにリングィーネ(アサリ入りのパスタ)。

さらに、宝月家に伝わる秘伝のシロップを使ったフレンチトーストという異色の組合せ。

朝から食べるフレンチトーストは最高だ。

デザートのティラミスにフォークを入れた、まさにその時、だった。

携帯がチャットアプリの新着を知らせた。

自宅の飼い犬をアイコンにしているその主は、私がオーナーを務める北村動物病院の院長だった。


『おお。
彩ちゃんか
おはよう。

今日の経営者定例会議、9時30分からになったから。

すまないね。

本来は午後からの予定だったのに』


『9時30分ですね。
承知いたしました。
間に合うように向かいます』


そう返事をした。

懐中時計を確認しながら、矢吹が言う。


「彩お嬢様。
只今、9時10分でございますが……」


自分の耳を疑った。

空耳であってほしいと思ったが、どうやら本当であったらしい。

完璧に遅刻だ。

普段遅刻した人を散々バカにしているのに、自分がこれとは、情けない。

「この私が遅刻だなんて。
今にこの会社だけじゃなく、社会全体からいらない存在だと思われるわね」

我が身を呪いたい気分だ。


タイムマシンがあれば、少し前に、私が起きた時間に戻りたい。

そんなくだらないことも思ってしまう。

焦っていて何も浮かばないはずなのに。

人間とはそういうものなのか。

デザートもそっちのけで目の前の有能な執事に命令する。


「矢吹っ!
大至急、玄関に車を回しなさい。

何ならヘリでもいいわ。

……判断はあなたに任せる」


何せ今日の会議は、世界中から宝月家が株を所有している全ての動物病院の経営者が集まる重要なもの。

ヘリで来ている人くらい、何人もいるはず。


「かしこまりました。
……彩お嬢様」


彼の流暢なお辞儀を横目でチラと見ながら、部屋を出た。

腰から45度に曲がる身体の直線美に見とれて、心臓がトクンと甘い音を立てたのには、気づかぬフリをした。

この男とは12年間も一緒にいる。

産声をあげて生まれた子供が小学校を卒業して中学校になるくらいの年月、一緒にいることになる。

何で今更、何をこの男にときめくことがあるのだろう。

よりによって私がこの男に、恋をするだなんて、人間が木星に移住するくらいありえないわ。
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