前世と今~記憶の鎖~
「ほら、早く行くで」

まだ、動きが緩慢な哲夫を引っ張り、寝室を出る
向かうはリビング…ではなく洗面所
とにかく、目を覚ましてもらわないといけないからだ
食べてる最中に寝られたら困る
小さい子どもじゃないんだから…と思われるかもしれないが、哲夫なら出来る
出来ても全く嬉しくもないのだが、前科があるので対策はしておく

「お母さん、準備できたで~」

とりあえず、顔を洗ってある程度目が覚めた哲夫を椅子に座らせ、優希は美紗子を呼んだ
美紗子は、暁をちょうど寝かしつけたところだった

「あら、全部してくれたのね!ありがとう!」
「ぐぇッ」

美紗子は喜びのあまり、優希をギューッと抱きしめる
優希は突然の事で、対応できずカエルが潰れるような声がもれた
そんな優希を気にせず、美紗子は心行くまで抱きしめる
力加減ができておらず、優希の顔色が悪いが、それに気づいて止めてくれる人がいない
哲夫が今見ているのは、目の前のご飯
美紗子は優希の背中くらいしか見えていない

「く…るしぃ…死ぬ…」
「あら!大丈夫?!」

優希は何とか声を絞り出して、危機を伝える
美紗子はアッサリ離れ、優希の様子をうかがう

「ゲホッ…な、なんとか…もうちょっと遅かったら分からんけど…」

優希は息を整えながら答え、美紗子は「ごめんね」と優希の頭を撫でた

「それより、夕飯食べよ…父さんが『待て!』って言われてる犬状態やからさ」

優希は哲夫を指さして言う
そこには、椅子に座り微動だにしない人がいた
視線は、料理にのみ注がれている…その状態はまさしく「待て」の状態だった
優希と美紗子が席につくと、哲夫は視線を2人やる

「それじゃ、いただきます!」
「「いただきまーす」」

哲夫に続き、美紗子と優希が声を合わせて言うと、哲夫は慌ててご飯を食べ始めた
よほどお腹がすいていたのだろうが…そこまで急がなくてもいいと思う
優希は、父親のそんな姿を、ゆっくりご飯を食べながら見つめる

(うん…何か、色々諦めよう)

多分、きっと普通の父親であることを求めるのは無理だろうと思い、優希は自分が諦めることを早々に決めた
生まれた時と比べると、父親の威厳というものが激減している気がするが…それを気のせいということにして、優希は脳内で片付けた
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