憂鬱なる王子に愛を捧ぐ
「千秋……」
「乗っけてやるよ」
バイクに跨った千秋は、あたしにヘルメットを投げて寄こした。
驚いて、両手で受け取ったそれに黙って視線を落としていれば、千秋がじれったそうに「早く」と声を掛けられた。慌てて頭に装着し、千秋の後ろ背にしがみついた。
滑るように走り出したバイクは、ぐんぐんとスピードを上げて、夏の暑さも、匂いも、取り巻くすべてを置き去りにする。
会えるかな、会いたいな、けれど、尚は一体どんな表情をするのだろう。エンジンの小刻みな振動を千秋越しに感じながら、想像する。
怖いなと、思う。
けれど不思議なことに、ひとりで鬱々と考えていた一週間で感じていた胸の痞えはない。無風の水面のように、波ひとつたたず、シンと静まりかえっている。
千秋の背から視線をずらし、流れる景色を確認する。
何度か訪れたことがある、見覚えのある町並みだ。尚が住む高層マンションの近くで、バイクは緩やかに停車した。
千秋はヘルメットをゆっくりと外し、鬱陶しそうに汗で額に張り付いた髪を指で梳く。あたしを振り返り「着いたぞ」と声を掛けた。