憂鬱なる王子に愛を捧ぐ
「……そうだよ、あたしが好きなのは千秋、」
尚の言葉を鸚鵡返しするようにゆっくりと紡げば、尚はぴくりと身体を強張らせた。
「千秋だったよ。あたしにとっては、千秋だけいればよかった。それだけで満たされてたんだよ。物心ついたときから、ずっと千秋だけみてたし、これからだってずっとそうだと思ってた」
あの日、ふたりで一緒に見た海を思い出す。
西陽に染められた橙色の海だ。聞き分けの良い振りをして、"最後"という言葉で全てのことに蓋をした。
引いては寄せる波が、少しずつ、あの日零れ落ちた言葉を寄越す。
気づかない振りをして、仕方ないのだと無理矢理自分を納得させて、離れた距離をそのままに、尚が差し出した安寧を平穏と見間違えて、彼に出会う前の日常に戻ることなんて、あたしにはもう出来ない。
「尚となんて、出会わなきゃ良かった。尚と出会わなければ、あたしはあんたを好きになることなんてなかったのに」
あたしはただ、大好きな人と一緒にいたいだけだった。進んで争いごとに巻き込まれることもしない。平凡を退屈だと思うことなんてないし、そこに確かな幸せを見つける自信だってある。
でも、そんなあたしの小さくても大切にしてきた世界を壊したのは、目の前の男だ。見たことも無いくらいに綺麗で、傍にいるだけでは何も掴めない難しい人間。
だから手を伸ばしたんだ。隣にいるだけじゃ、満足出来なくて。
もっと尚を知りたくて、関わっていきたくて。不思議ね、あたしはこんなに我侭じゃなかったはずなのに。
「真知……」
散々に人の生活も心も掻き乱しておいて、何も無かった様に消してしまおうなんて、尚は酷い。