crocus
部屋には窓に向かって雨がぶつかる音と、自分の鼻を啜る音だけが聞こえる。
…ん?聞こえ、る?
よくよく確かめてみれば、やはり雨粒の弾ける音が背後の窓から聞こえる。
そして、耳に届いたもう一つの音。
隣で両手を合わせている若葉が小さく唱える不思議な呪文。
「♪ひよこがぴょん、階段高くて飛べないよ。…ひよこが」
「ぷっ」
いつから言っていたんだろう、そう思うと琢磨は堪えきれず吹き出してしまった。
途端、ビクリと跳ねた若葉の肩。そしてギギギと首を回してこちらを見上げてきたその目は視点が定まっていない。
「…ひよこが」
「ぴょん?」
先ほどの呪文の続きを言ってみれば、顔を真っ赤にした若葉は琢磨の聴覚が戻ったことが分かったようだ。
「それ何の呪文?」
「えー…っと、呪文というか…。子供の頃お父さんに教えてもらった、誰かを励ますためのおまじないです」
だんだん下がっていく頭と共に、若葉の声も小さくなっていく。
「琢磨くんの耳が早く治りますようにー…って思ったんですけど、聞かれてしまうこと…考えてませんでした。ははは…」
がっくり項垂れながら笑う若葉の声が聞けてすごく嬉しい。素直にそう思った。
さっきまで自分に対して憤りを感じていたのに、若葉のおまじないのおかげで少し心が晴れた気がする。
そもそも、あの日と向き合うきっかけを作ってくれたのも若葉だ。
真実は健太にしか分からないし、転校の理由も、カブ狩りの真相も今はもう知る術はない。