crocus
だからこそ気づく存在
今となっては何故、店の扉を開こうと思ったのか、理由は忘れてしまった。ただ、ゆっくりと自分1人になれる時間と場所を探していたのかもしれない。
「いらっしゃい」
カウンターにいるじいさんは、一目、恭平の顔を見ると、口角を少し上げながら目を伏せて、すぐに手元の作業に戻った。
同じ様に見えるコーヒー豆がいくつもビンに入っていて、店内はコーヒーの香りで充満していた。
カウンター席につくとメニュー表がなくて戸惑っていると、じいさんがブラシで黒いプラスチックの筒を掃除しながら話しかけてきた。
「ここは喫茶店じゃねぇぞ、小僧。ここはコーヒー豆と道具しか売ってねぇよ」
「そう、なんです…ね…。でも…邪魔しないんで見ててもいいですか?」
ここの店内に流れる時間が心地いい程に穏やかで、うっすら眠気も誘ってくる。そんな雰囲気をすぐに気に入った。
そして初めて間近で見るコーヒーを淹れる機械や、細々とした部品を丁寧に掃除している様子を見ているだけでワクワクしてきて、久しぶりに胸が高鳴った。
「……待っとれ」
ふんと鼻息を鳴らしたじいさんは、手を洗うと、年寄りなんて疑うほど鮮やかで洗練された動きで一杯のコーヒーを淹れてくれた。
「これサービスな」
「ありがとうございます。…いただきます」
しっかりグッと両手を合わせてから、カップを持った。
サーっと適量の砂糖を入れると、気泡で出来た薄茶色の層に乗って、静かにジワジワと沈んでいった。