crocus
「あっ、もしよかったらどうぞ?」
若葉ちゃんの片手が離れたと思えば、次に手に触れたのは、ぬくもりが残るツルツルとした、カップ。
そっと顔に近づけていくと、先ほど口にしたエスプレッソよりも、数段にも増した芳醇な香りが体内をゆらゆらと揺らめいて体をほぐしていく。
口をつけると味覚がアンテナを張り巡らせ、まろやかな液体が、喉をトロリと滑り落ちていく感覚がリアルに伝わる。
そして甘さ、苦さ、深いコクが胃を驚かせて、吐く息は幸せに満ちていた。
余韻に浸りながら、目を瞑るとエスプレッソが物語を、瞼の裏で流れるように映し出した。
コーヒー豆が生まれたその国の太陽、気候、農作業をする人達。
焙煎機、丁寧に仕分けするじっちゃん。
一生懸命に淹れてくれた若葉ちゃん。
俺は携わった人たちの『心』を飲んでいるんだ、そう思うとジンと胸が痺れた。
当たり前のように飲み食いしてる全ての物に、命があって、物語りがあって、作る人の手の温かさがいつも存在している。
暗闇だからこそ、気づけたこと。
思うよりも、怖いことばかりじゃない。ただ見えづらくしているだけで、そこに変わらずあるんだ。
「あっ…、恭平さん。空が…」
その言葉で後ろの窓から、空を見上げてみると、いつの間にか止んでいた雨。そして、雲の切れ間からは綺麗な星が垣間見えた。