crocus

恵介はポケットに手を入れて、中の空虚感に笑った。いつもあったものが、そこにないことを知っているのに、朝から同じ動作を懲りずに繰り返していたからだ。

砂時計は川の中だってば…。

図星を刺された衝動で、つい手放してしまった砂時計。大事なものは無くしてから気づく。それじゃあ、気づいたら次は何をすればいいだろう。

追いかけても砂時計も、雪村さんも手遅れだろうか。

要が立ち上がって店内へと向かっていく。後悔に飲み込まれる前に、演奏で頭を切り替えようと恵介も要の後に続いた。

要は…いや…、要は雪村さんのような去り方が一番堪えるはずだ。記憶が重なって戸惑っているんだろう。

雪村さんなら…なんて言うのかな。出ていった張本人だから、変な話だけど。って僕が追いやったんだった。

今日訪れたお客さん同様、雪村さんの居場所を案じる恵介。そんな風に、女の子を心配する日が来るなんて思いもしなかったと苦笑いしながら、暖簾を潜って店内に入ろうとするも、要が立ち尽くしていて通れない。

「ちょっと要、どうしたのさ」

ふと要の肩越しに、店内を見れば5、6人のスーツを着用した男性らが、入り口に固まっていた。彼らが醸し出す厳粛な雰囲気は、ギリシャ風カフェにはとても不釣り合いだ。

「あっ、要!恵介!…なんかこいつら、あの複合施設建設計画の人間らしくて…話し合いがしたいって言ってるんだよ」

琢磨がこちらに駆け寄りながら状況を説明した。あの悪人面で、話し合うなんてよく言ったものだ。

じき開店だというのに、唾液を飲む音をさせることすら憚れる、静かな睨み合いがしばし続いた。
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