crocus
母さんはジャーナリスト、僕はシェフになる。その約束も帳消しになってしまったと思った。
けれど本当は心のどこかで、その約束が僕と母さんを繋いでくれている気もしていた。そう願いたかった。
じゃなきゃ、自分のことを無償の愛で守ってくれる絶対的存在をなくした喪失感を持て余し、いずれ暴発すると思った。
少しの力でプツリと切れそうな細い糸の先に、小さな光を見ていた。何気なく交わした約束は、自分を支える糧に変わった。
母さんがいなくなってから、しばらくして退院したのは小学4年の時。まだ家の洗面台の鏡に自分のおでこしか映らない頃だった。
けれど、それから2年が過ぎた頃には、その鏡を見ながら歯磨きが出来るようになっていた。
朝食と夕食作り、洗濯と風呂掃除は僕の役割で、誰かに褒めてもらうためじゃなくて、何かを買ってもらうための小遣い稼ぎでもなくて、生活を送るための義務だった。
父さんは優しかった。どんなに忙しくても朝食と夕食は2人で向かい合って食べてくれた。少し味付けに失敗した日も、美味しい美味しいと残さず食べてくれた。
必要とされている。それは僕の中では呼吸をするのと同じくらいに大切なものだった。
家にいても退屈で勉強をするくらいしかなかった。だから自然と成績は良かったし、わざわざ目立つような悪い素行をするような馬鹿ではなかったから、先生やクラスメイトからは信頼を得ていた。
そうすると先生には私立中学の受験を薦められ、父さんも仕事に張り合いがあると喜んでくれていた。
受験する中学を調べると、家庭科の教諭に、ずっと前に雑誌で紹介されていた料理人の名前があった。どういう経緯で、教員になったのかは分からないけれど、もっと知識を得られるチャンスだと思った。
2学期が始まる頃には本格的にその方向を見据えて勉強をし始めた。一般的な人達とは動機が逸脱しているのだろうけど、目標がある、それだけで毎日が輝きだした。
そんな中、担任が突然長期入院することになった。代わりに就任した代理の教師は物腰柔らかそうな綺麗な女性だった。
すぐにクラスに打ち解けたその人は、先生ではなくて「奈緒ちゃん」と呼ばれて親しまれていた。
もちろん僕はそんな呼び方はせずに、「先生」だったけれど。