crocus
恵介が自宅に辿り着くと、ドアを引く前に深呼吸した。また父さんと2人きりの生活、私立中学の受験に追われる毎日に戻る。その切り替えのために、肺いっぱいに空気を吸って、フッと一気に吐き出した。
「ただいま」
毎年のようにクリスマスイヴの準備をしてくれているであろう父さんに届くように言ったけれど、その本人は玄関にいた。
でも………、そこには父さんに抱きついている先生もいた。
恵介の存在に気づいた先生は、パッと父さんから離れた。先生は俯いたまま、足元にあった酢豚の入った紙袋を持って、素早く靴を履くと立ち去ろうとする。
反射的に恵介はその先生の腕をグッと掴んで問い詰めた。
「先生…何してるんですか?先生が食べさせたかったのって、…僕の父さんだったっていうんですか!?」
「…ちがっ……、ごめっ…ごめんなさい!もう私のこと忘れてくださいっ!2度と現れないから…、ごめんっ、…ごめんねっ!!」
顔をぐしゃぐしゃにして涙を流す先生は、腕を掴む恵介の手をがむしゃらに強く引き剥がした。
駆け出した先生は、こちらを一度も見ることなく車に乗り込み、フルスピードで逃げるように走り去った。
恵介は呆然とさっきまで腕を掴んでいた右手を見つめた。ただただ理解出来なくて現実味がないけれど、確かに先生の体温や、柔らかさ、服の質感をその手は覚えている。