crocus

残る1人を残し、若干空気がしんと静まった。そんなことは気にも止めずオーナーさんが促した。

「恵介、最後締めて」

『けいすけ』さんは「まいったな……」とポツリ溢すと、若葉に笑顔を向けた。だが、その笑顔は明らかに作り物の冷たさを感じるただ口角を上げたもので、茶色い瞳は色がない。

「橘恵介です。シェフとして雇われているんだけど、僕に許可なく厨房に入らないでね。オーナーがどういう考えなのか知らないけど……必要以上に僕のテリトリーを荒らさないでほしいな」

崩れない笑顔には、ややイラつきも感じられ若葉は頷くしか出来なかった。

歓迎されていないことは十二分に伝わり、冷や汗として若葉の体を冷やしていく。

「ったく……脅してんじゃないっつーの。……まあ、若葉ちゃん。こんなやつらだけど、根はいいから。よろしく頼むわね。誰がなんと言おうと!間違いなく、ここは若葉ちゃんの新しい家なの。わかった?」

「オーナーさん……。はい、ありがとうございます」

肩に置かれたオーナーさんの手の大きさと温かさに少し安心し、小さく頷いた。

ちらりと橘さんを見れば、相変わらず視線を下げたままで、不満だらけの表情だった。

ここへ来てからというもの、橘さんのその表情しか知らないことが寂しかった。

万人に好かれようなんて無理なのかもしれない。けれどもっと橘さんのことを知りたいと思った。

もちろんオーナーさんには活性剤だなんて言われたけれど、使命でも義務的なかっこいいものではなくて……ただ単純に橘さんの笑顔が見てみたい。

若葉は俯いている橘さんを見つめながらそんな思いを巡らせた。

ううん、橘さんだけじゃない。ここにいるみんなも同じだ。

こんな偶然が重なって出会えたのは、きっと意味がある。きっと意味を見出だせるはず。

1人1人の顔を順番に見つめながら、5人の店員さんとオーナーさんとの空気感の中に、いつか自然に溶け込めたらいいなと思った。

自分に出来ることは何なのか、みんなが抱える問題にどう向き合っていけばいいのか、オーナーさんに言われた『活性剤』という役割に応えられるのか……。

不安はいくつもいくつも過るけれど、愚直に誠実に未来の自分に恥じないように、とにかく目の前のことを頑張ろう。

……ここで過ごすことが許される残り時間は、きっと多くはないと思うから。


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