crocus
そうすると橘さんは若葉の耳元に顔を寄せて、小さくもやけに甘い声で囁いた。言葉を紡がれるたびに吐き出される息が耳を刺激されて、身体中が何度もゾワリと打ち震えた。
「へぇー……抵抗しないんだね?おりこうさんだ……」
た、正しかった、ようだ。
けれど本当にもうそろそろ恥ずかしい!
胸の前で組まれた腕をなんとかグググッとこじ開けようと頑張れば、初めは許してもらえなかったものの諦めてくれたのかパッと力を抜いてくれて、やっと自由の身になった。
心の中で開放感に喜びを感じていたのだが、つい2度見してしまった光景……。
何もない床の一点を見つめたまま固まり、意気消沈している琢磨くんがいた。一体、何があったのだろう。
「奈緒子……。何を打ち解けているんだ?……君が許しを乞う相手は、もう1人いるだろう?」
今まで黙っていた鮫島さんは、面白くなさそうに、だけど見透かしたような目をして先生を見下した。
その言葉に再び先生は表情を暗くし、動揺からか、ゆらゆら瞳を揺らしながら目線を床に向けていく。
鮫島さんの言葉の真意が分からずに、その部屋にいる全員が誰のことだと、目で会話をした。
「奈緒子さんに無理やり吐かせたのは……父さん、あなたでしょう?それにも関わらず、菜緒子さんを責めるなんて馬鹿げてる」
突然聞こえてきた男性の声に、全員が室内の右側にある扉に注目した。
「──っ!?」
ドアノブに掴んだまま立つ人物を捉えた若葉は声にならない驚きで呼吸を止めた。
何故なら古い記憶の中に住んでいた男の子の成長後が、スーツを着て立っていたからだ。