crocus

「──くん、伊織くん?」

肩を揺さぶりながら、優しく自分の名前を呼ぶ誰かの声が耳に届いて、脳が覚醒されていく。

「んー…」

目は閉じたまま安眠妨害された不機嫌さを、眉間に顕著に表せば、突然腹部に強烈な圧迫を感じ呼吸の仕方を忘れた。

「ぐわふっ!!」

「伊織お兄ちゃん、起きてー!」

驚いて目を開き、天井を見つめながらここがどこなのかということを瞬時に思い出している間にも、若葉ちゃんが楽しそうにお腹の上で跳ねている。

「おはよう。起きたね。朝ごはんの時間だよ」

「一緒にいただきますするよー!」

「あ、はい…おはようございます」

体をゆっくりと起こしながら、悠一さんと若葉ちゃんに挨拶をした。

今いる部屋は、元々物置だったらしく布団があるスペース以外はダンボールが密集している。その向こうからひっそりと射す朝日だけが室内の輪郭を教えてくれていた。

"今日から君は住み込み従業員として働いてもらいます!"

昨日の悠一さんの言葉を思い返す。
泊まってしまったけれど、本当に本当なのだろうか。

自分はまだ未成年の上、高校生だし、家にだって連絡なんてしていない。それなのに住み込みで働かせるなんて、どうも真実味がない。

もしかしたら気休めで言ってくれただけで、1日泊めれば気持ちが落ち着いて帰ってくれるだろうと思っているのかもしれない。

どこまで悠一さんが本気なのか分からず、それでいて自分の常識を試されている気がした。これだから他人の家は難しくて嫌いだ。

友達の家に泊まっても、しばらくすれば初めは愛想良かった友達の親は、いつになったら帰るんだと怪訝な表情で見てくる。

…まぁ、そういう態度が当然なんだけど。

それを知っているからこそ、悠一さんとの距離感が掴めずにいた。
けれどなんとなくこの家族に煙たがられるのは嫌だった。

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