crocus
「伊織さんは、ここ1ヶ月でとっても一生懸命働いてくれていました。娘の若葉ともたくさん遊んでくれて……16歳という歳で、こんなに心が健やかで素直な子はなかなかいません」
顔を上げれば、透き通った声で褒めてくれた千春さんの穏やかな笑顔は涙でぼやけて見えた。
こんな状況でも動じることのない悠一さんの凛とした瞳は今でもはっきり覚えている。
「伊織が今までずっと本当の自分を曝け出すことを出来ず、男らしさを誇張し続けてきたのは、事実を知ったことでご両親を傷つけたくなかったからだと思います。僕はそんな心優しい伊織が大好きです」
「悠一さん…」
一点の曇りもない笑顔で悠一さんは父親に向き合ってくれた。
父親は何も言わずに静かに俯いた。下から見上げる父親の背中は、以前よりもずっと丸くなり小さく思えた。
そんな風にしてしまったのは自分。
そんなことにも気づけずに、逃げ続けていたのは自分だ。
伊織はゆっくりと立ち上がり、袖でぐいっと涙を拭いた。
「お父さん、ごめんなさい。お父さんが望む普通の息子になれなくて、裏切ってごめんなさい」
言葉は震え、潤んでしまう。
罪悪感と自分らしさが反発しあい、入り混じり、その中心にいた心はすっかり複雑骨折してしまっていたけれど、言いたいことは「ごめんなさい」のただ1つだったことを思い出した。
頭を深く、変わり果てた父親の背中に向かって下げていれば、背後からパタパタとスリッパが駆ける音が聞こえてきたと思えば、すぐに背中に暖かさと柔らかさと懐かしい母親が洗濯する匂いを感じた。
「謝らないでいいのよ?…お母さんの方こそ、ごめんねぇっ?…伊織。ずっとずっと苦しかったわよね?辛かったわよね?今まで分かってあげられなくて、ごめんねぇぇ?…ふぅっ…ぅ…」
切なく搾り出した母親の初めて聞く涙声に、痛いほど涙腺がジクジクと急激に開放され、滝のように止めどなく涙が溢れた。