crocus
桐谷さんの後ろに続いて店内に入ると、そこは昼間の穏やかに時間が流れる雰囲気とは全く違い、お酒の香りが漂う夜の顔をしていた。
活気に華を添えるオレンジの照明が、更にお客さんの高揚感を煽っているようだ。
店の奥へ視線を送ると、目に飛び込んできた光景。
「……あはっ!ははははっ!」
疑問だった点がやっと理解に繋がった。しかも想像の上を突かれしまい、声を上げて笑わずにはいられなかった。
若葉の笑い声に準備をしていた店員さん達が振り向いた。隣にいる桐谷さんは不審な者を見るような目をしている。
ついうっかり涙まで出てきてしまって、それを拭いながら、やっとのことで言葉を発することが出来た。
「……ホントすごいです!」
20センチほどの高さの木製のステージ上にいる4人にも届くように伝えた。
赤いギターを持って八重歯を覗かせて笑っている琢磨くん。
琢磨くんの後ろで、ニッコリ笑う上矢さんがキーボードを目の前にして、ぶんぶんと手を振っている姿が可愛らしかった。……子供の授業参観に来た親の気持ちが少し分かる気がする。
こちらには気にも止めず、ベースの重低音を響かし音響確認をしているのは橘さんだ。
そして、上田さんはスタンドマイクに左腕を乗せて『上田さんポーズ』でおどけながらも、誇らしげにしていた。
「オーナーは外出している。演奏中にオーダーが入れば、その時はそれとなく頼む」
若葉にそっと耳打ちした桐谷さんはスラリと長い脚を堂々と伸ばし、歩みを進めた。
ドラムセットの場所に用意されていた椅子にストンと腰かけた桐谷さんは、スティックを持つと、ハイハットドラムをタタンと叩いて音を調節している。
クロッカスの夜の顔は店員さんによるバンド演奏だったのだ。
店内の一角に置いてあった、アンプやドラムセットの意味がやっと分かっただけでなく、店員さん達自らが演奏するとは思いもよらなかった。
数人はダブリエ姿で楽器を触っていて、ちょっと異色な違和感でさえも味となって格好良く見える。
こんなスタイルのバンドは見たことがない上、若葉にとってこれが初体験のライブになる。
店内に響くサウンドチェックの音だけで、興奮と共に足にも胸にもビリビリと電気が走っているように感じた。