crocus
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10時に閉店したクロッカスは、穏やかな静寂を迎えていた。
部屋に戻った若葉は、ベッドの布団に包まれながら覚めやらぬ興奮で眠れずにいた。
店員さん達の奏でた曲は初めて聞いたものばかりなのに、耳から離れず延々と繰り返し流れている。
だが控えめにコンコンとドアをノックする音に、すぅっと脳内再生をやめた。
「若葉ちゃん。起きてる?恭平です」
「は、はい!」
急いで駆け寄り、そっと扉を開けると、片手を上げながら「よっ!」と挨拶する上田さんがいた。
「あーのさ、急なんだけど……明日は午後から営業することになったから、朝はゆっくり過ごしていいからな」
「そうなんですか?……分かりました!わざわざありがとうございます」
「……おう」
俯きがちに返事をする上田さんはどこかそわそわしているように感じられた。
「上田さん?」
「……恭平。恭平って呼んでくんねぇかな?」
「え?」
そう言う上田さんはポリポリと首の後ろを掻きながら未だに俯いている。
年上の方を呼び捨てに出来る性分じゃない若葉だが、試しに恐る恐る呼んでみた。
「恭平…………さん?」
「ぷはっ、心が折れたな!……うんいいよ、それで。サンキュ」
やっと顔を上げてくれた上、恭平さんはくしゃっと可愛い照れ笑いをくれた。
そして恭平さんは関節が骨張った男らしい手を前に差し出した。
握手かな、と判断した若葉はそろそろと手を握ろうとすると、恭平さんの「あっ」という声と共に、その握ろうとした手はパッと離れた。
不思議に思いながら、恭平さんを見上げると、少し難しい表情をした後、一人うんと頷いて先程とは逆の手をスッと差し出した。
「やっぱこっちで」
「は、はぁ……」
右手は痛いのかな、汚れていたのかな、など考えても意図は分からないけれど、握手を拒否されたのではないからよしとしよう。
きゅっとその大きな左手を握るとブンブンと縦に揺らしながら「よろしくな」と言ってくれた。
「こちらこそお願いします」と笑って見上げれば、恭平さんは少しぎょっと目を大きく開いた……と思えば頬がみるみる内に赤くなっていく。
「そそそそれじゃあ……おやすみなさい。ボクヘヤニカエルネ」
「はい、おやすみなさい……?」