アイ・ドール
「ここからの景色を観てしまったら、もう下の世界には正直、戻りづらいわね――」
永い沈黙の後、切なく社長は言い、私を窓際へと誘う――私は吸い寄せられる様に窓際に辿り着き、社長の隣で外の世界を観ていた。
「ご覧なさい、人や車があんなに小さくなって――気持ちが良いでしょう」
沢山の人や車が、忙しく何かに追い立てられているかの様に米粒大のサイズで、ちょこまかと動いている。
「時々ね、こうして景色を眺めていると、この空間と下の世界との時間の流れが明らかに異なっていると感じるの――下の世界はいつも忙しなく、焦り、恐れ、「何者」かに急き立てられ、己を見失ってゆく危うい世界。一方で、私と舞さんのいるこの空間は、静寂に包まれ、優雅に穏やかで豊かな時間が流れている――何も恐れる事のない高尚で素晴らしい世界――」
「――――」
「でもね、この世界の住人は一握りしか存在しないわ――殆んどは下の世界に帰属する。そうするしかない――舞さんは今、分岐点に立っている。私達と共にこの世界の住人となり、甘い果実を享受するのか、下の世界で一生地を這い、諦めと怠惰に満ちた毎日を送り続けるのか――」