惣。
「琴比良?」
目の前の男は、穂群の知った顔をしていた。
(…違いますよ)
男は美しい顔を綻ばせる。
「では…琴…宮か…?」
不意に呼ばれた自分の名前に顔を上げる。
(どうして私を?)
「ただ長く生きていると言うだけだ…」
(それは羨ましい…)
「羨ましい?どうしてだ?」
(……)
琴宮からの返事は無い。
「…どうした?答えれぬか?」
目の前の美しい顔の頬に穂群が触れる…白い肌は予想通りに滑らかで冷たい。
(いや…思い出せないんだ…)
頬に置かれた穂群の手に冷たく白い指を重ねながら琴宮は答えた。
「そうか…ならば、私に見せてくれぬか?」
♢♢♢
「…おい、穂群…だから、あの護符は?」
「え?ああ…」
「お前、大丈夫か?」
自分には見えていないモノとの会話を終えた穂群のダメージを気にする。
「大丈夫だ…」
惣を見上げて笑ってみせる。
「護符は?」
「あの護符か?あれが必要になるとはな…」
穂群が柱に施した護符は、式神を始めて見覚えの無い物だった。
「お前が術を使う所初めて見た」
余りにも腑抜けさが大きい穂群の手を引いて歩き出す。
「ああ…あれは…他のモノから護る為の物だからな」
「柱から出て行け…じゃ無いのか?明後日には本番なのに」
「可能ならば…明後日まで居てもらいたいからだ」
「どうして?」
「ふぅーん…じゃあ、あの柱の中に琴宮さんがね…」
自宅に戻った二人は、眞絢が準備する夕飯を待ちながホールでの出来事を聞かせる。
「俺、イマイチ分からないんだけどさ…」
前置きして惣が笑う。
惣が分からない事…
それは何故、琴宮を柱から出さないのか?である。
「どうして本番までとどめるんだろ?」
「穂群の力なら、簡単に琴宮さんを出して(行くべき場所)に導く事は出来てたよ」
くすくすと眞絢が笑う。
「無抵抗な相手だったしな」
箸を並べる惣の顔を見上げて穂群も笑う。
「だから…柱と琴宮さんの何が見えたんだ?」
一人だけ合点のいかない惣は思わせぶりな二人のやり取りに苛立ちを隠さない。
♢♢♢
穂群は、無抵抗な琴宮自身の意識を覗く…。
美しい面差しはそのままで、当時の上方には珍しい、立役、女形がこなせる役者として、勢力的に役を引き受けて居た琴宮 高勢。
しかし、その活躍も長くは続かなかった。
(これは労咳ですね…)
無機質に告げられた言葉で、琴宮は陽当たりの良い離れに隔離された。
「兄様…」
近づくな…と念を押されたであろう離れにひょっこりと障子から覗く顔に気付く。
「叶子…どうしてここに?」
細くなった腕で布団から起き上がる。
伏せっていて痩せた琴宮の顔は青白く、妙な色気すら醸し出している。
訪ねて来たのは、親の目を盗んで隔離された琴宮に会いに来た幼い妹だった。
「初日で…みんな、お留守です」
言われた通り、少しだけ顔を見せて叶子が答える。
「そうか…」
「はい…でも、これで兄様の病気は治ります」
労咳を知らない叶子が自信満々に言う。
「ん?どうしてそう思う?」
年の離れたかわいい妹の言葉を待つ。
「演目…鳴神なんです」
少しだけ顔を覗かす範囲を広げた叶子は桃色の頬をした琴宮に良く似た笑顔を見せる。
「そうなのか?」
「兄様は、叶子が風邪をひいた時…鳴神上人の舞台で柱巻きの睨みで風邪を追い出してくれたでしょ?」
「ああ…そうだったか?」