惣。
「ここの…あんかけうどんが好物だったのだ」
穂群が補足する様に耳打ちする。
「お店を改装した折りに、お祝いに頂いたんです。余りに素晴らしい品ですから…」
久しぶりの獅子の出番に嬉しそうに大女将が言う。
「衣野家の者が、彼の当たり役だった(弥生)を演じる際にだけ、小道具として使われている」
「そうなのか?」
「惣さんで四代目ですよ…まぁま…あの惣さんがねぇ。弥生さんは初めてですよね?」
「はい…」
あんかけうどんを勧めてくれる大女将に、劇場での食事の出前で楽しみに取って置く…と丁重に伝え、惣はガラスケースから獅子頭を受け取った。
「驚いたか?」
穂群が風呂敷を抱えた惣の顔を覗き見る。
「小道具だったんだ?」
「覚えてはおらぬか?」
「何を?」
風呂敷を持ち直しながら答える。
「あの店に食事に行った際に獅子頭を見て怖がってな…」
思い出を反芻しながら穂群が笑う。
「俺が?」
「ああ…大女将がガラスケースに風呂敷をかけてくれてな…幼子は、視界から消えてしまえば無い事になるのだな…」
確かに、穂群と同じく何かを思い出して感慨深そうに惣を見ていた小さな大女将の顔を思う。
「それで…(あの惣さんがねぇ)に繋がるんだ?」
今更、顔を赤らめた。
二人が持ち帰った獅子頭を懐かしそうに眞絢も眺める。
「そうそう…これだよ…」
「そんなに?何度も弥生を演じてるんでしょ?」
キッチンで米を研ぐ惣が笑う。
「まぁね…でも、この獅子頭は特別だよ」
「曾祖父さんのだろ?」
「戦後で娯楽の少ない時に評判の演目だったんだよ」
舞台の装置が大掛かりでは無く、出演者も少ない舞踊演目が良く上演されていた。
同じく戦後の混乱の中で屋台から店を再開させた店のうどんを気に入っていた
曾祖父が、今の場所に店を構えた折りに渡したのだ。
「20年近く経ったんだよね…」
獅子頭に手を入れて眞絢が笑う。
「一応、穂群に見てもらうよ…何も無いと思うけど」
「穂群?」
ドアのノックと共に惣の声に返事をする。
「開いておる…どうした?」
惣の姿を見る事無く護符に筆を走らせる。
「一応、見て貰えれば…と思って…」
「獅子頭か?」
手を休めた穂群が、やっと顔を上げた。
「うん」
「何も邪気は感じぬが、念の為護符を書いて置こう」
穂群のベッドに寝転んだ惣が聞く。
「穂群は兄ちゃんや、じいちゃんの弥生も観てるんだよな?」
「ああ、観ておる」
「やっぱり曾祖父ちゃんが一番?」
今までにも、眞絢や祖父達と比べられて来た惣が笑う。
そして、衣野家の役者達を今まで観ている穂群に問う。
どんな答えが返って来るのか?眞絢は身体を起こす。
「そうだな…それぞれ違うな…所作や振りが似るのは当たり前だが…弥生の美しさを際立たせる者、獅子の精の猛々しさを演じる者」
「俺はどうだろうな…」
「眞絢でも、祖父達とも違う惣の弥生と精を演じれば良い」
「そうだな…」
「ああ…明日から稽古だろう?取材も入る」
「うん…あ…穂群は?映ったらどうするんだ?」
「一応は、眞絢と惣の付き人と言う事でな…」
惣達が居る演劇界が昔より陰陽師と繋がりがある事をわざわざ知らせる義務は無く、一括して穂群は術を施す。