主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】
『主さま、お茶をどうぞ』


『ああ。息吹…俺はお前と夫婦になれて本当に良かった』


――湯呑を主さまに手渡した息吹は、唐突に主さまが熱い瞳で見つめながら普段は絶対に口にしないような感謝の言葉を言ったので、瞳を丸くしていた。


『ぬ、主さま?どうしちゃったの?熱でもあるの?』


『お前と出会った時からずっと夫婦になりたいと思っていたんだ。こうなることは必然だった』


息吹は主さまの前に正座しながら、かすかな違和感を感じていた。


自分の知っている主さまはなかなか本心を語らないし、優しい言葉をかけてくれる時でも耳が真っ赤になったり、口ごもったりする。

だが今すらすらと甘い言葉をかけてくれる主さまは、いつもならこういうはずだ。


“気まぐれで拾ったらこうなっただけのこと”と。


こうして夫婦になって平和な日々を送れているから、もしかしたら性格が丸くなったのだろうか?


いや、そもそも…


日中に主さまとこうして縁側に座って話をしていられるのは、どうしてだろうか?


夫婦になったのは…いつから?


いつもなら絶対に寝ているはずの時間帯なのに、眠たい素振りも見せずに笑いかけてくれる主さまを…見たことがあっただろうか?


『あの…本当に主さま…?』


『?何を言っているんだ?お前こそ熱でも出たか?どれ、計ってやる』


腕を伸ばして頭を引き寄せられると、こつんと額に額をぶつけてきた主さまにさらに違和感が膨らむ。


『主さま…』


『熱はないな。だが横になった方がいい。俺が添い寝してやろうか?』


――優しく笑いかけてくれる主さまも、知らない。

いつもの主さまなら、ややはにかみながら笑うし、“添い寝してやる”なんて思ったとしても死んでも口にはしないだろう。



『あなた…誰…?主さまじゃない…』


『…俺が“主さま”だ。息吹…どうして離れる?こっちに来い』


『いや…!誰なの…?主さまはどこ…!?』


『俺の名を呼んでみろ。…俺は誰だ?さあ、俺の真実の名を』



…呼んではならない。

今目の前の男は、主さまの真実の名を知らないから聴いてきたのだ。


『いや…っ、こっちに来ないで!』


『息吹…俺の名を呼べ。どうして離れて行く?』


息吹は声にならない悲鳴を上げて、走り出した。

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