主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【完】
『はあ…、はぁ…っ』


何度も脚がもつれそうになりながら必死に走ったが、主さまではない者の声が耳元で聴こえた。


『逃げても無駄だ。そもそも俺から逃げるとはどういうことだ?俺たちは夫婦じゃないか』


『違う、あなたは主さまじゃない!やめてこっちに来ないで!』


『もうすぐお前は俺のものになる。拒絶しても無駄だ、俺たちはひとつとなって、幸せになるんだ。息吹、お前もそれが夢だっただろう?』


『あと1年あるはずだもん!それにあなたは絶対主さまじゃないんだから!私にはわかるの!』


両手で耳を塞いで暗闇の中を走っているうちに、光に溢れた丸い出口のようなものがあり、必死に走って辿り着いてほっと息をついた時…正面から肩を掴まれた。


『きゃ…っ!?』


『目覚めた時にはお前はもう意志の無い傀儡となっているだろう。なに、悪いようにはしない。お前の力を正しいものに使うだけだ。安心して俺に身を委ねろ』


主さまの顔で優しく笑いかけてくる男が何者なのかわからずにただがたがた身体を震わせていると、男は息吹を抱きしめて優しい手つきで髪を撫でた。



『何を怖がる?何者かわからないが、お前は赤子の時に力を封じられている。それも緻密で強力で、探らなければ誰も気付けなかったほどに高度な術で。それを解放して正しきものに使おうと言っているのだ』


『私の…力…!?私は一体なんなの…?私は…っ』


『そんなことはもう考えてなくていい。さあ息吹…瞳を開けろ。さあ』


『いや…、いや!』


――全身で抵抗した。

どこかにある身体が目覚めようとして、それを全力で抑え込んで戦った。


『意固地な女だ。それほどまでに主さまが恋しいか』


『私は私でいたいの!私に構わないで!私を使って何かをしようとしないで!お願いだから…主さまの所に返して!』


『それは駄目だ。お前のように力に溢れた者はなかなか居ない。人で在りたいか?それとも違う存在で在りたいか?後者を選ぶならば、俺に身を委ねろ』


…後者?

後者を選んだならば…人ではなくなるのか?


人でなくなるということは、長く生きられたり…主さまや妖たちの傍にずっと居られるということか?


――迷いが生じた。

その瞬間、息吹の意識は激流に呑み込まれ、沈んでいった。
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