絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 家電量販店、ホームエレクトロニクスに平日にぶらりと立ち寄る、このカジュアルなシャツに薄い色のサングラスの男は、まさか公務員ではない。カメラのショーケースの前にずっと張り付いていても、まさかカメラマンでもなく、カメラがシュミのちょっとカッコイイ感じのお兄さんかなあと思われるのが関の山である。
 そう、誰も彼が芸能人だなんて思わないのだ(多分私の周りの人は誰も彼を知らない)。
「ほうほう。さっきからここ見てるけど、一台一台売れて行くな……」
 ロックミュージシャン、ユーリは顎をさすりながら渋い顔をして見せた。
「冷やかしなら帰ってくださいよ、お客さん」
「ちゃうねんって!今日ちょっと飯でも行かんかなー思て」
「……え、……何で?」
 何故、この返答なのかというと、この口利きで仲よさそうな2人ではあったが、実はただの客と店員の関係にしか過ぎず、一度お客様控えを渡し忘れたせいで自宅まで届けに行ったことはあるが、実際はそれだけの、もちろんプライベートな電話番号も知らない関係であった。ただ、ユーリは意味もなく頻繁にここへ顔を出しており、月に一度顔を見ない日にはとうとう仕事を干されて田舎にでも帰ったんじゃないかと心配になるくらいではあるが。
「大事な話しがしたいんよ」
 とユーリは真面目な表情を作ってはみせたが、香月は逆に笑った。
「いいじゃないですか、ここで」
「えーー! ここでって……仕事中やろ?」
「今更(笑)。いつも商品に関係ない世間話じゃないですか」
「そんなことないよ! 俺はいつも家電見に来てるよ!」
「(笑)。へー(笑)」
 言いながら腕時間を見た。特に急ぎの用はないが、客と無駄話をしている時間もない。
「あのぉ、じゃあまず内容言うとくけど」
「はい」
 どうせ大したことがないことに決まっている。食事の件はどういう流れか知らないが、話の内容は、香月のよく知らない一眼にまつわる話だと踏んでいた。
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