絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「今もお医者さんよね?」
「あぁ、今は桜美院でいる」
「そうなの! 私、この前日帰りだけど入院したのよ?」
「ああ、坂野崎が騒いでた美人というのは愛のことか」
 突然の呼び捨てに、心が痛いほど動揺した。
「……どうかしら」
 目を逸らす。
「酒を飲まされたのではない? 客の家で」
「そうだけど」
 あんな失態を、まさか榊に知られていたことに、戸惑いながらも会話は続いていく。
「俺はまだまだ修行中だよ。院長が現役だからね」
「い……」
 ってまさか……。
「今更なんだが、あのときはすまなかったな……。ずっと気になってた。あれから、一度も会えなかっから。謝りに行こうと何度も思ったよ。だけど、樋口のお嬢様から助言も受けて、まあ、罵倒も受けて(笑)、やめた」
 香月の表情は動かない。
「今は……そのまま結婚はしているけど、子供は堕りた」
 榊は香月の表情を見て、
「樋口のお嬢様から何も聞いてない?」
「……」
 香月は微かに首を横に振る。
 榊は一度、周囲を確認した。
「今更だけど」
 小声で一息つく。
「今更だから言う……ことにしよう。
 あのときお腹にいた子は俺の子じゃない」
「……え?」
「誰の子か知らない」
「……じゃあ。どうして結婚したの?」
「医者として迷っていた時期だった。引き抜きの誘いもあったし、友人は独立したりで。そんな中で、あの、東條病院が、自分の物になると思ったらそのままでいいと思ったんだ。まだ、お前は若かったし」
 つけ足しのように言う。
「今も子供はいない。だけど、その中で本当に東條病院が自分の物になるとかそんなことで結婚をしている自分が、時々……迷うときはあるけどね」
「そう……」
「今は、独身?」
「……ええ」
「結婚なんか、しない方がいい」
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