絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「では、私はそろそろ……」
 次の会話が思いつかずに、香月は急く。
「あぁ。また」
 またなんてないくせに。
 香月は両者に軽く会釈をすると、さっと後ろを向いた。
 一瞬、これは、夢の世界の話なのではないか、という希望を思い出す。
 だけど、それでも同じこと。人の者には変わりない。
 香月は人々の間をぬって、急ぎ足で会場を去った。
 ここで、シンデレラは片方の靴を落とす。だけど、階段でも靴は足から脱げない。
 自分はシンデレラではないのだ。
 香月はようやく気づいた自分が可笑しくて、涙も堪えずに笑った。
 自分の浅はかな期待に失望を。
 あるはずもない妄想に絶望を。
 誰にも分かってもらえないこの涙に悲しみを。
 榊……忘れよう。
 ここで会ったが、人生の最後、全部、忘れよう。
 そう考えていた。はずなのに。頭ではずっと回想をしていた。その後の二次会に行っても、2人を祝うことすらなく、ずっと自分の過去を思い出していた。
 榊は横顔で冷たいことを言う。
「学校は休むな」
 多分、そう言うと思って、わざわざ大学を休んで午前中にマンションに内緒で押しかけて行ったことがある。
 インターフォンを鳴らし、ドアを開けた瞬間、榊は何にも驚かずにそう言った。
「会いたかったから……」
と言うと、
「学校の後でもいい」
と。
 半分怒りながら、部屋に通してくれたはいいが、彼はずっと何か仕事をしていた。これは、学校へ行かなかった自分へのあてつけだと思った。
 だけど、その横顔を見ていても全然飽きなかったから。ずっとベッドに座って、デスクの横顔を見ていた。
「……」
 彼はしばらくして、目を深く閉じて伸びをする。そして、ちらっとこちらを見てから立ち上がった。
「昼は? 何食べる?」
「な、なんでも! あ、作ろっか?」
「……外行こう。ランチ」
「別に作っても……」
「食材が何もないから」
 榊はこちらが仕掛けない限り、何もしない。だから、いつもこうやって、突然抱きついて、タイミングをはかる。
 多分、タイミングをはかってから抱きついたりしてたら、それで一日が終わる。
 相手はいつも何もしない。
 だから、自分で、唇をつけて、目を閉じて、抱きしめる。
 そこまでしないと、何も始まらない。
「……」
 溜息か吐息か分からない、榊の音。
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