絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 相手は高校の教師だった。幸いにも独身。
 卒業するまで待てばそれなりに物になる関係だろうと思っていた。
 そんな一途な阿佐子を微笑ましく思った。
 だが、次に会ったとき、
「そんなことってあり得ないでしょう?」
 確かに、あり得なかった。
 その教師は阿佐子の気持ちに気づき、自惚れ、のめりこんだ。
 自分が教師であることを、忘れた。
「抱きついてくるなんて、信じられない。だから大声を出してやったの」
 乱暴な言葉を使う彼女にハラハラしながらも、自信満々に話す次の言葉が待ち遠しくて仕方ない。
「私のことを好きになるなんて……なんか、がっかりでしょう?」
 一般的に、この場合のがっかりは、生徒を好きになるなんて、ということだが、彼女が言っているのではそのことではない。
「あの人に近づかれた瞬間、冷めたわ」
 だが、阿佐子らしいと思った。
 産まれながらにして、冨も名誉も知能も美貌も整った彼女であれば、そんな一人の教師の人生を変えるくらい、どうということはない。むしろ、人一人の人生を軽く扱うその様が素敵だと思えるような人だった。
 阿佐子は猛アプローチをかけ、教師はその誘いに簡単に乗り、教室で2人きりになると当然のごとく抱きしめた。30近い教師からすれば、好意を持った女性を抱きしめるのは当然のことだが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
 阿佐子はその教師の失態を父に告げ、逮捕させた。
 ほんのちょっと。生徒の人気を取った教師。あっという間に、前科者になってしまったのである。しかも、強制わいせつ罪。ニュースや新聞で、小さくではあったが報道された。
 女生徒は教師を慕っていたが、まさか無理矢理羽交い絞めにされるとは思ってもみなかった、と。
「すごいね」
 いつもこんな平凡な言葉しかかけられない香月だが、阿佐子のことをいつも羨ましく思っていた。この時だって、そう。人の人生を捻じ曲げても、ただ笑って終わらせるその、堂々とした人間性に惚れ惚れする。
 気が強く、背筋をピンと張り、思い通りに事を成す、可愛い女性に。
「今日はいい夢が見られそう」
 ほら、そうやって、にっこり笑って好きな人のことを考える。
 数年前に陥れた、あの教師のことなどきっと、すっかり忘れてしまっているに違いない。

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