絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 土曜、何もないまま一日が終わり、どっと疲れた。店の売り上げのことなどほとんど考えないまま一日が終わった。接客に集中はできていることだけは良かったが、ひと段落するとなかなか次の仕事まで足どりが重い。
 それほど自分を責めているわけではない。あれ以上防ぎようがなかったし、これ以上自分ができることは何もない。
 だけれども、なかなか寝付けないほど彼女の顔が浮かんで離れないし、それが血まみれになってどこか道端から出てくるのではないかと想像して消えない。
「暗いな」
 行きつけの駅前の焼き鳥屋はこんな日でもそこそこ繁盛している。部屋の隅でこちらをみつけた坂野咲は、すぐにそう放った。それに少し安心する。
「あぁ……ちょっと相談があってな……」
「じゃあ食事はその後にしよう。あ、すみません、後で注文します」
 昨日、いてもたってもいられなくなって「明日相談したいことがある」と信用できる親友、坂野咲医師に連絡をとったのだった。
 仕事帰りの2人は畳みの上で小さなテーブルを囲み、なんとか落ち着いた。
「実は、……月曜なんだが……。あの、香月って女の子、覚えているか?」
「あぁ。美人のな」
「彼女から月曜に相談があったんだ。祭りの日に会社から歩きで帰っていたら車に連れ込まれそうになったって。ビックリしたよ。特にそれからひと月も自転車で通ってたからな。でも、つい最近車を買って、まあ、気をつけて帰れと注意したんだ。で、まだ警察に行ってないっていうから一緒に行こうって」
「うん」
「で、そんな話をしてたら突然倉庫に香月宛の小包が届いて。中を開けてみたら、気が狂った感じの……愛してるとか、家族になりたいとかの手紙と一緒にビニール袋に自分の、多分だが自分の精液を入れて送ってきた。さすがにやばいと思って、次の日、火曜が2人とも休みだったから昼間警察に行こうって話になって。とにかく月曜日は俺が家まで送って行って、次の日迎えに行って一緒に警察に届けて、店においてあった彼女の車に乗せて、別れた。
 そこから行方が分からないんだ」
「警察は?」
「成人の捜索はほとんどしないみたいだな……。その精液の特定とか、なくなっている香月の車とか、携帯とかを調べるとは言っていたが、何も連絡はない」
「心当たりは?」
「ない。ただ小包にケイとあったが、それだけじゃ何も分からん。家族にも尋ねたみたが何もないそうだ」
「俺は専門じゃないから詳しいことは分からないが、そういう場合、被害者が自力で抜け出せるような状況にありながらも、抜け出せないと洗脳され、監禁、もしくは軟禁された状態から開放されない場合が多い。恐怖でな。
 そもそも、香月さんはどんなタイプだった? 泣き喚いて言うことを聞かなくなると思う?」
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