絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「食事は?」
「あんまりない」
「ガンでも見つかった?」
 香月は首を横に振る。
「分からないな……。今日は時間があるからゆっくり聞くよ。一番最初から、ゆっくり話せばいい」
 今日は時間がある……。今日は。
 いや、違う。自分は今、彼の何者でもない。
 気をとりなおして、
「最近……新聞見た?」
テーブルの上のコップに注がれた水を見ながら話すことに決めた。
「毎日読んでる」
「……9月。お祭りの日、浴衣だったの」
「うん、知ってる」
 こんなときでも、やっぱり嬉しい。
「だから歩きで行ったの、会社まで。だって車ないし。で。あ、そうか……」
「その日、会った」
 一度、目が合う。
「そうだった……」
 まだ何も話していないのに涙が流れた。耐えられなかった。
 すぐに、バックからハンカチを出す。
「……で、帰ってたの。そしたら、突然男の人が来て。知らない人。道を教えてほしいって地図を広げるから、教えてあげようとしたら……手を……思いっきりつかまれて……」
 警察にも話した。これで数度目なのに、また恐怖が蘇ってくる。
「無理に話さなくていい」
「……ううん……気を……楽に……したいの……」
 榊に話すことで、楽になれるに違いない。
「警察の人とも話しをしたけど、だけど私……なんだか、浮き足立っているというか……全然落ち着かなくて……」
「うん」
「だから……誰かに話をすれば……と思ったの」
「そうだな。それもひとつの解決方法だと思う」
 彼は優しく言う。
「それで……。
 それで、黒い車に連れ込まれそうになったの」
 榊が傍で聞いてくれている。そう思うと何かが自分の中で変わり、涙が止まった。まるで、さっき見たドラマを説明するかのように、淡々と話せる。
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