絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 次の瞬間、全員が鋭い視線を宙に向ける。仕事中はもちろん、休憩中も、耳につけているイヤホンを外すことはしない。イヤホンはトランシーバーに繋がれており、店内くらいの距離なら電波をとばすことができる簡単な物だ。誰かに何か伝えたい時や聞きたい時にスイッチを入れて小型マイクに喋る。すると、全員のイヤホンに伝わり、それに答えられる人が誰とも言わず、答えるシステムになっている。広い店内をカバーするのには欠かせない仕事道具である。
『香月さん、香月さん、現在地は?』
 宮下店長だ。
「はい、スタッフルームで休憩中です」
 香月がマイクに答えた。
『山田様がご来店されて、香月さんに相談したいことがあるそうです』
「了解。香月、休憩出ます」
「あぁ、あのメガネのおじさんね」
 玉越は、溜め息をついた。
「うん……」
「何、変な奴?」
「うーん。なんかご指名って感じよね」
「ふーん」
 香月はテーブルの上をさっと片付けるとすぐに部屋から出た。
 6月初旬の平日の店内はそれほど混んではいない。昼食で抜けた店員の数でも客がさばけるほどだ。つまり、ほとんどが繁忙日に向けての作業が中心なのである。
 香月は遅いエスカレーターではなく、自力で階段を下りるとレジカウンターへ向かった。すぐにメガネの客とカウンター内に入っている店長が確認できる。
「大変お待たせ致しました」
 あえて息をついてみせた。
「いいや、まだ会計中だよ。もう少しゆっくりしてきても良かったくらいだ」
「すみません」
 香月は少し笑みながら俯く。
 宮下はその不自然さに気づきながらも、素早くコピー用紙1点のみの会計処理を済ませた。
「いや、今度は新しいICレコーダーが欲しくてね。いい音でとれるのが欲しいんだ。値が張ってもいいから」
「では……案内致します」
「それにしても……」
 2人は後ろを向く。だが、宮下は次の男の言葉を聞き逃さなかった。
「見る度にキレイになる」
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