絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「おはようございます」
「おはよう」
 香月とこの挨拶をするのも、これで10回目。少しは慣れただろう。
「香月さん、706なんですね」
「え??」
「車」
「あぁ……そう……でしたか? すみません、全然覚えてなくて(笑)」
 苦笑いをしながら、少し顔を赤らめる。
「あれは今手に入れるのは難しいんですよ。限定商品ですから」
「へー……、あ、そうだったんですか」
「あんな貴重な物を頂くなんて、なかなかないですよ」
「あぁ……」
 やはり、どんな相手から貰ったかは言わないか。
「通勤にも慣れましたか?」
「はい(笑)。最初は一時間も車に乗ることがなかなかなかったから戸惑いましたけど、道も覚えたし、時間もわかったし、だいぶ楽に来れるようになりました」
「それはよかった」
 にっこりと笑って安心させる。
「今日、少し時間があるのですが、食事でもどうですか? 実は、……極秘ですが、来月移動があります」
 それはエサではない、と自分に言い聞かせる。
「そうなんですか! ……そう……ですね、今後のこと、自分でも少し考えていました」
 グッドアンサー。
「では……今日の業務が終わり次第、行きましょうか。明日は休みです。飲みますか?」
 また優しく笑いかける。
「そう……ですね。私は、かまいません。代行でも使います」
「わかりました。では、店を予約しておきます。ええと、よかったら、佐々木部長も誘いましょうか?」
 とりあえず、聞いておく。
「いえ……。少し、大切なお話をしたいと思っていますので……」
 顔を伏せたが、赤らんでいるわけではない。
「分かりました。どこか知っている個室にしましょう」
「あ、はい……」
 もちろん、個室だからといって、何が起こるわけでもない。料亭だと気を遣い、不審に思うだろうから、普通の居酒屋の小さな個室をと、最初から考えてあった。火曜日の個室はすぐに予約が取れる。それほど高級な店でもないし、気軽に話しができるであろう。
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