絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 午後7時に勤務を終えた2人は、ビルの外でタクシーに乗り込むと一直線に店へ向かった。カウンターは15席、個室は5つというどこにでもある居酒屋である。 モダンな和の居酒屋で壁と障子で仕切られてはあるが、カウンターからかどこからか薄く笑い声が聞こえ、2人腰を下ろしてから、品のない空間になってしまったことを真籐は少し後悔した。
「気楽にしていてください」
 そんな言葉をかけたのは、香月がタクシーの中でも終始黙っており、また少し視線を伏せているせいもあるが、大半は、「気楽にするという目的でこの店にしたんだ」という言い訳の一言でもあった。
「料理は後にしましょう。先にお話を聞かせてください」
「あの、それで……」
 予想通り、ずっと話の内容を考えていたのであろう。すぐに本題に入る。
「はい」
「私、本社でこの一週間仕事をしてみて、確かに楽しいのは楽しいのですが、やっぱり、でも、店舗に……」
「戻りたいですか?」
「できることなら」
 その目の意思は強い。
「……そこまで店舗が好きなのは、やはり、達成感があるからですか?」
「達成感……」
 香月は少し視線をずらした。考えながら話しているようである。
「慣れ、というところはあると思います。本社にいると偉い人ばかりで緊張するし。だけどお店だと、皆気軽で、若い人も多いし……」
「宮下店長は優しいですか?」
 なんとなく聞いてみる。
「はい。尊敬しています」
 その即答に嘘やごまかしは見えない。
「そうですか。……少し、気になったのですが……」
「はい」
 どう言葉にしようか少し考えてから口にする。
「その、酒の事件や誘拐はお客様でしたが、店舗の中ではどうですか?」
「え?」
 一瞬、香月の表情がゆがんだ気がした。
「店舗の中で、しつこく言い寄られたり……」
「……特に……」
 明らかに顔が変わっている。
「佐藤副店長は、もう大丈夫ですか?」
 香月は一時停止した。
「……」
「今回の副店長昇進で初めて聞きました。昔、香月さんに言い寄って離婚した、と」
「……ご存知……」
 救いを求めるような視線に、真籐は優しく口を開く。
「もちろん知っているのはごくわずかな人です。僕が知ったのは、偶然で……」
「あれは単に魔がさしただけです」
 彼女の口調は強い。
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