絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 二階にある、重要書類閲覧室として使用されている店長室の窓から、吹き抜けになっている売り場フロアを見て、香月は一度溜息をついた。

 やはり、ここは広い。一年前に勤めていた店舗の丁度五倍あるのだから、視覚的にも実寸も合っているのだが、気持ちがなかなかついて行かない。

 まず最初に遠い。とにかく壁が遠い。なかなか端までたどり着けない。歩くだけで疲れる。

 次に人が多い。常に100人は従業員が出勤している。もちろん全ての人の顔と名前を把握してはいない。行く時行く時の人が違い、刺激はあるがかなり不便だ。

 きっと店長も全員の顔と名前なんて覚えていない。

 ここは、家電専門店。ホームエレクトロニクス株式会社の東都シティ本店。

 まるでホテルのような内装で、ピシッとキメ揃った黒の制服で従業員が接客を行う高級感を売りにしているホームエレクトロニクスは、上質のサービスを武器とし、他店の値段には合わせず、独自の路線で店舗数を増やしている。ホームエレクトロニクスの常連客になるのが裕福層のステータス、というのが主な狙いで、価格はやや高めだが、ここで買い物をしてこその満足感というのを常に追い続けている会社だ。

 商談カウンターに座るだけでオレンジジュース、契約コーナーでは高級チョコレートが当然のように出て来る。

 そこまでして、価格を気にせず、気持ちよく買い物がしたいという客は、予想を遥かに上回る数で存在しているのである。

 そこで香月がどんな仕事をしているかというと、大半雑用だ。担当は特にない。

 日別シフトにも、フリーとただ記載されていることがほとんど。全ての作業の微調整をチョコチョコやっている。

「疲れたか?」

背後から音もなく声がして振り返ると、今話題になったばかりの店長、宮下昇がファイル片手に室内に入ってきていた。

「いえ、うーん……はい」

「休憩取れよ」

 一度腕時計を見て時間を確認。まだ午後5時。閉店の10時まではまだまだ時間がある。

「早めに取ろうかな」

「うん」

 一応店長確認してから、トランシーバーのマイクのスイッチを入れると「香月休憩入りまーす」と断る。

 なんとなく、宮下を上目遣いで見た。

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