絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「復縁を迫っているのか……」
「私は……確かに、あの時は……」
「今はもうそんな気はないんだろ? ならそれでいい。それと接客を混ぜるからいけないんだ」
「……でも……」
「そうだなあ。どうかな。このことは、宮下店長には内緒に?」
「いえ、話してください。だけど、他の副店長には……」
「分かった。宮下店長にだけ報告しておく。その、反省の電話もそれからにしよう」
「すみません……」
「いや、変な客ってのはしょっちゅういるもんだ」
 明るく笑ったが、香月はそれに反して涙声を出した。
「他の……」
「……」
 涙ぐんでいるようである。
「他の誰にも、知られたくない……」
「そうだな」
「……。すみません」
「いや、いい」
 頭の中では対策が次々に浮かんだ。客が逆上した時の構図や、反省電話の仕方、香月の行方……。
「他はもうないか?」
「……は……い」
「どうする? 食事。もう帰るか?」
 香月はただ首を縦に一度振った。
「また、なんかあったらすぐに言えよ」
 言いながらギアをRに入れる。
「……」
 それから彼女は一度も喋らなかった。ただ頬の涙を拭いて、外を見ていた。
 いい方向に、進めていきたいとは思う。だが、なかなか一筋縄ではいきそうにもない。
 彼女を自宅に送り届け、高級マンションにまた一驚きした後、どこにも寄らずにそのまま自宅に帰った。
 会社の皆がどんな家庭で暮らしているのかはあまり知らない。社員のプライベートは会社に提出する必要がないので、知る機会がない。
 そんな中で、自分はそこそこ普通の家庭で暮らしている、と信じたかった。
 パートに勤める一人の女性、と、高校生の男の子一人。年齢からして、十分妻子で通る。実際はバツ1なので少し重い役ではあるが、仕方ない。
< 34 / 314 >

この作品をシェア

pagetop