絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
ファミリー型ルームシェアマンションに入居したのは、前妻と離婚した寂しさから逃れるため、それ以外のなにものでもない。仕事に没頭し、家庭をふりかえらなかった自分に責任があると前妻は強く睨んで息子を抱えたが、その背後に新しい男が見え隠れしていたことに気づかないふりをした自分の方が、一段上だったと、この選択は間違っていなかったと今でも信じている。
 息子への未練がないのかと聞かれれば、そうでもない。ただ、他人を雇い、彼女の素行を調べ上げた結果、息子も自分の子であるのかどうか疑わしくなり、素直に抱けなくなったのは事実だった。
 血のつながりなど関係はない。そんな、綺麗ごとで片づけられるような、素晴らしい家族関係を作れなかった自分にも責任はあるが、やはり、ただ、家族とは血のつながりがあってこそのものだったと、今も、よく思う。
 ファミリー型ルームシェアマンションの同室で暮らす、二つ年下の彼女と17歳の男の子は、それがまるで家族かのような、それらしい反応をしてくれる。
 たぶんみんな、何がしかの理由を抱え、ここに留まっているのだろうが、今はただ、帰って来た家の中が温かければそれで十分だと、仲村は感じていた。
 玄関を開けるだけでわかる。今夜の夕食は、これまた平凡なカレーライスであった。彼女は夜は出かけないので、大抵温かい物を出してくれる。
「やっぱり、お弁当作ろうか? 一人作るのも、二人作るのも、同じだし…」
 いつかの会話だ。
「そこまでしてくれなくていいよ。大丈夫。朝、忙しくなるし」
 彼女が以前、どのような家庭で育ったのかあまり興味はない。多少、向こうから言い出したことはあったが、どんな情景だったのかほとんど覚えていない。
 ただ彼女はここで良い妻を演じていた。いや、素がそうなのかもしれない。だけれども、それも全て、自分にはどうでもいいことだった。
 こんな、飯だけ食って、悪いのかもしれない。同じ寝室で、隣同士のベッドで眠ったって何もない。
 悪く言えば家政婦?
いや、さすがにそれは言い過ぎか。たまに、平日休みが合えば一緒に買い物に行くではないか。
 つまり……。自分の心の中以外は全く普通の家庭だ。
 部屋に入ると既に皿にカレーを盛ってくれてはいたが、「先に電話を済ませるから」と断り、すぐに書斎に入った。まず宮下に電話をしなければならない。既に午後11時半を回っていたが、まだ起きているだろう。
 予想通り宮下は3回目のコールのあとすぐに出た。
「はい……」
 声が少し掠れている。
「あ、すみません。寝てました?」
「うん……」
「夜分遅くにすみません、明日までには伝えておいた方がいいと思って」
「うん、いいよ。ちょっと待って……」
 喉を飲み物が通る音が聞こえる。
「はい、どうぞ」
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