絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 顔つきが一瞬で完全に変わったので驚いた。一気に緊張感が高まる。そのせいで、言葉が全く出てこなかった。
 しかし仲村は普通ではない客にも、もちろん慣れている。何一つ表情に出さず、落ち着いて説明し、重要なことをちゃんと商談メモに記入していく。その間香月は、固まった体を序所に解凍しなおしていくことしかできない。
「はい、ではこれで大丈夫です」
 仲村は大丈夫か? と言いたげに商談メモを香月に渡した。最高にゆがんだ顔を見せたいのを我慢して、無表情を装い、とにかく目だけで訴える。
「はい……では、こちらの商談メモをレジまでお持ちします。後は契約コーナーで担当の者がおりますので、そちらでお願いします」
「えっ?」
 相手の顔を見る勇気がなかった。威嚇のような驚きの声である。
「い……いえ、あの、あの、私がしましょうか」
「はい、お願いします」
 映像コーナーからレジまでの長い間、男はずっと自分のことを話していた。フリーカメラマンであること。意外に若く、30才であること、黒が好きなこと、家電が好きなこと、よくここに来ること、そして、たまに香月を見かけること。
「いえね、香月さんの印象がすごくよかったものですから(笑) 。香月さんはむいてますよね。電池の接客をしていただいたのですが、よく分かりました」
「……そうですか?」
「そうですよ!!」
 契約コーナーは人でいっぱいだった。このまま一緒に待つのが嫌だったので、空いたレジで自分で伝票を作ることにする。
「すみません、こちらでおかけになってお待ちください。私はあちらのレジで伝票を作って参りますので」
「いや、座らなくてもいいですよ。香月さんが伝票を作るのを見ていたいので近くでいます」
「……すみません……」
だんだん分かってくる、相手の素性。男の名前は井野康夫。住所は店の近く。
震える手をどうにか落ち着かせ、素早く伝票を打ち上げる。
「お支払い方法は……」
「現金一括払いで」
 手提げのバックからそのまま札束を出してきたことに驚いた。
 実はこの風貌からしてローンを組むのではないかと予想して、契約の仕細かい部分を思い出し直していたせいで現金が不審に思えてしまい、更に手が震える。
 どうにか落ち着いて、ゆっくり札束を数える。間違いなく、20枚ある。だが、確認のために、近くで心配していた玉越よしえに
「すみません、確認してください」
と札を手渡そうとした途端、
「俺の金に触るな! しっし!」
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