絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「佐藤さん……大丈夫か?」
「えっ?」
 宮下の方を見る。彼はハンドルを握り、既に車は発進していた。
「あれから……。さっきも困った顔が見えたから……。えっと、東京マンション、だっけ?」
「あ、はい……。佐藤さんのことは……別に……何も……」
 宮下の心配が分からないではない、と思いながら続けた。
「ここは人が多いし、ほとんど会うこともないし、今日喋ったのだって、仕事以外ではほんと久しぶりでした」
「最近AVコーナーに行かせることが多かったからな」
 宮下はまっすぐと前を見ている。
「でも、仕事のときは普通ですよ。……今もわりと普通だったけど……」
「そうか?」
 なぜ宮下が佐藤のことをここまで心配するのか。
 それは単なる過剰反応ではない。
 今からおよそ一年前の、まだ香月が入社して間もない頃。当時は実家から一番近い小店舗での勤務だった。佐藤はそこの店長だったのである。優しくて、仕事ができて、真面目で、部下からの信頼も厚い既婚者。つまり、普通のオジサンだった。
 今も相変わらず普通だと信じたいのは、香月だけだろうか?
「香月、ちょっと聞いたんだが……」
 宮下がプライベートなことで話しかけてきたのはこれが初めてだったと思う。宮下といえば若手の有望社員なので常に大型店か本社で役職についており、香月などとは無縁の人物だった。
 それがたまたま社内監査で出張に来ていたときのことである。
 帰りがけ、自転車の前で呼び止められ、何事かと思った。
「何ですか?」
 宮下は一度後ろを振り返って人を確認すると、顔を近づけた。
「正直に言いなさい。佐藤店長と何か関係があるのか?」
「え? 何かって……?」
「実は、匿名で本社に電話があったそうだ。香月って女の子と怪しいって」
「え!?」
「まあ、ただの嫌がらせか、噂か何かだと思うがな……。だけど、今日見た感じでは、ちょっと……気になってな」
 宮下は驚くほど真剣な目をした。
「別に、私と佐藤店長は何もありません」
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