絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 室内のどれだけの目が注目するのかと思っていたら、いたのは2人だけだった。
「井野様、すみません……。申し訳ありませんでした。私の説明が足りなかったがために、大変申し訳ありませんでした」
 長机をはさみ、パイプ椅子に座っていた井野は香月が見るからに、それほど怒った様子ではなかった。
 普通に笑っている。丁寧に詫びたからというよりは、香月が出社してきたことが井野の中で重要だったようだ。
「あ……いや、あはは。いや、てっきり電話くれるものだと思っていたから」
「そうですよね。すみません。もう少し井野様の立場に立ってちゃんと説明するべきでした」
「いやその……僕はね、あれですから。そういう仕事ぶりも、あれですから……」 
 意味が分からない。し、笑うと気持ち悪い。
「今回のことは……」
「今は香月さんと喋ってるんだよ!」
 宮下が話しかけようとすると、激しく威嚇する。その二重の人格に、香月は硬直して黙った。
「あ、あの……これ、良かったら……」
 えらく低姿勢で紙袋から何を出してくるのかと思ったら、驚くことに老舗和菓子屋の菓子折りだった。
「いえっ、でも……」
「いえ、僕も言い過ぎたところがあったので。あとで香月さんが食べてください」
「あ……」
 宮下の顔色を伺う。彼は少し頷いて見せた。
「では、頂きます。すみません、ありがとうございます」
 物は大きめだったが、もし手が触れ合ったらどうしようと、恐々手を出す。
「ここのお菓子、美味しくて有名なんですよ。知りません?」
「あ、はい……」
「僕の家の近くなんですけどね。あ、よかったら、午後の設置、見にきませんか? 今日は休みだから午後の予定も特にないでしょう?」
「え、あ……」
「申し訳ございませんがお客様、テレビの設置には専門の者が参りますので……」
「別に用ないよね?」
 宮下の話など全く聞いていないフリをしている。
「……では、設置の者と一緒に参りましょう、か?」
 香月は宮下を見ながら喋ったが、彼は厳しい表情のままだ。
「いえ、お客様。香月は資格も何もありませんし、設置には……」
「僕の家を見せただろう? あそこにテレビを入れたところを是非見てほしいんだ」
 彼の視界に宮下は全く入っていない。
「では、設置の者と私と香月が一緒に参ります」
 宮下は、宮下を見ない井野に提案する。
「あ、はい。あの、一緒に、ということで……」
 香月も、それに従った。
 井野は一瞬宮下を睨んだが、
「美味しいお茶でもお出ししますから」
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