絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
「あ、はい……」
「では午後から楽しみにしてますよ」
 井野はそう言うと、少し頭を下げて自分から席を立った。すさまじい精神力と動力のある男である。香月は、井野がドアノブに手をかけるやいなや、安堵の溜め息をついてしまいそうになったが、それでも宮下は客が帰る時もいつもの営業スタイルを崩さなかった。場慣れ、とはこういうことだろうか。
 宮下は駐車場まで送り届けると、すぐに会議室に戻って来た。
「怖かった……」
 香月は顔を顰めて話しかけたが、宮下の視線は宙を舞っている。
「了解」
 トランシーバーのイヤホンから入る声を聞いていたのだ。
「井野様の配送は丸田さんが行くそうだから、俺たちも行くようになったと伝えておくよ」
 今度はこちらの目を見ている。
「……はい」
「危ない男だ」
 宮下の視線が菓子折りにあることに気づいて、
「捨てていいですか?」
「さすがに怪しい物は入ってないと思うが。まあ、もらったのは香月だから、好きにしなさい」
「帰って捨てよ」
「迷ったんだがな……。あそこで行かないと突っぱねて返品になるのも有りかなと思ったんだ」
「えっ!? そうなんですか!?」
「ちょっとな」
「えー。うわー、何も言うんじゃなかった……」
「お客様を大切にするということは、悪いことじゃない」
「はい……」
「えーっと、じゃあ、1時くらいに出るか……。丸田さんとは現地集合になる」
「はい。じゃあそれまでにご飯食べてきます」
「大丈夫か?」
「朝食べてなかったから、おなかすいてます」
「いや(笑)」
 宮下はクスリと笑った。
「まあ、いいけど(笑)」
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