優しい手①~戦国:石田三成~【完】

ひび割れる心

とにかく脚がもっと早く動くように桃は長い廊下を歩き続けた。

ずっと俯いたまま、茶々の部屋に顔を出したと思ったらすぐ襖を閉めて出口に向かって歩き出した桃を、秀吉が追いかける。


「桃姫?」


「ごめんなさい、私…帰ります!」


「ほ?三成と帰らぬのか?」


「ううん、一人で帰ります」


中庭に出るとそこにはクロが繋がれていて、桃が口笛を吹いて合図をした。


「クロちゃん、こっち!」


「!!」


前脚で立ち上がって急に興奮しだしたクロの手綱を取った厩番の男を引きずるようにして桃の前まで走ってきたクロが首を下げた。


三成に褒賞としてやった黒毛のとびきりの軍馬が桃の前では借りてきた猫のような風体で驚くと共に、

着物の裾を太股まで捲り上げてクロの鬣を握り、えいっと掛け声を上げて飛び乗った桃の下着は秀吉に丸見えで、


思わず鼻の下を伸ばしてしまった秀吉が慌ててクロの尻尾を掴んで止める。


「今輿を用意してやるからしばし…」


「大切な用事を思い出したから…三成さんにそう言っておいて。“帰って来なくていいから”って言っておいて!」


――人の…織田信長の顔色を常に見ながら出世してきた秀吉にとって、

桃のその時の顔は“三成に会いたくない”と如実に語られていて、これは三成に問い質さなくてはいけない、と思いつつ手を振る。


「よしよし、確と伝えておくからな、気を付けるんじゃぞ!」


「ありがとう秀吉さん。…さよなら!」


――“さよなら”にやけに力と感情を込めて、クロの腹を軽く蹴って城から遠ざかって行く。


「桃!」


遅れてやってきた三成が、走り去る桃を見て呆然としながらやや厩番に大きな声を出した。


「俺にも馬を!」


「桃姫が“帰って来るな”と言うておった。…儂に何ぞ隠し事でもあるんじゃないのか?」


ぎくり、となったのを見逃さなかった。


秀吉はそのまま三成の隣を通り過ぎると、上座へと向かう。


「儂に確と説明をせい。事と次第によっては許さぬぞ。…桃姫は今生の別れのように“さよなら”と言うた。儂は悲しゅうてならん」


「…」


言い訳が頭を駆け巡った。
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